チベスナダイアリー

誰もまだ此れ程の阿呆の日常をありのままに書いたものはない。

たい焼きって鯛以外の形のが良いんじゃね

日記 1月6日

ごきげんようよう。たい焼きは頭から食べると頭が良くなる、尻尾から食べると脚が速くなる……みたいなナンセンスで馬鹿馬鹿しさ極まりないしょーもな嘘八百与太話ありますよね。僕の知る或る男……仮に「」としましょう。彼はそれを盲目的に信じ、頭からたい焼きを食らうサトゥルヌスすることの多い生涯を送ってきたのですが、その結果として地下鉄から階段で地上に上がるだけで半死する東北大学生になったらしいすよ。

閑話休題、人生の因果関係がたい焼きだけで説明が着く男こと逢導ごきげんようよう。

たい焼きの呪いと祝福とを全身で受けている僕が言うのもなんですが、なんでたい焼きって鯛の形なんですかね?いやまあ昔は鯛が高級品だけどハレの日には食べたかったので〜みたいな話があるのはわかるのですが、鯛の需要がそこまであると思えない現代では、もっと良い形がある気がするのです。

 

と、言うことで考えましょう。ゲストはいつも通りUさんです。

僕「というわけでどうでしょうUさんさん。」

U「いやこれ、俺は答えを既に知っていて、『今川焼き』でしょ。」

(僕らはふたりとも関東出身です。)

僕「ほう、気づきましたか。」

U「まあ丸いから形成も楽だし、形も綺麗だし、言うて物を象らなくても良くね?って」

僕「いや綺麗さに関しては異議があるよ。あれは2次元の空間回転対称性しかないから真の美しさではない。つまり、答えは『球』形だね。」

U「確かに。まあありそうでない範囲か。鈴カステラとかそんな感じだもんな。」

僕「ああ。名付けて『SO(3)焼き』。もしくは『S軌道焼き』。」

U「食う気失せるって。」

僕「ゆくゆくは『ローレンツ群焼き』とか『混成軌道焼き』とかも作りたいところだね。」

U「前者に関しては和菓子屋が時間方向に整形する技術がないから実現不可能だし、後者はあまりにも持ちづらすぎる。」

僕「科学の発展を待つのみすね…… てかさ、たい焼きってあの端の部分がおいしいことない?皮のサクサク感というか。」

U「あー一理ある。じゃあ角が増えるように多面形にしていって〜」

僕「『それ最終的に球になりますぜ』ってこないだクザーヌスが言ってたよ。」

U「……正しい!じゃあフラクタルにしよう。無限の表面積による無限のサクサク感。」

僕「噛んだ瞬間無限のサクサク感に有限の口が耐えきれず爆発するまでセット感あるね。」

U「ww」

僕「やっぱり原点にもどるしかないんだって。たい焼きのシンボル性を再認識しよう。たい焼き記号主義の復古。」

U「食べたいけど食べれないものにするってこと?」

僕「ああ。美少女の顔とか。」

U「それ食べたいか?後半グロすぎない?」

僕「僕には需要あるよ。じゃあ裸の女の子が書いてある型紙に水着の形の『焼き』を貼り付けて……」

U「課題は国家権力をいかに撒くかだな。」

僕「ダメか。『性欲焼き』。」

U「いやーてか、現代に『食べたいけど手が出ない食べ物』が意外と無いんだよな。鰻とか?」

僕「キモっ!細長!」

U「いや蒲焼みたいにしてさ。もしくはうな重でも可。」

僕「それ単なる直方体じゃない?」

U「いやーでも他に需要あるもんないって。」

僕「嗜好品路線はどう?タバコ型とか。最近嫌煙ブームだし。」

U「あーまあある……のか?次元大介がそれ加えてたらキモくない?」

僕「嫌いになる。」

U「お手上げ。お前今なんか『金では買えない欲しいもの』ある?」

僕「彼女。」

U「それ『性欲焼き』じゃん。」

僕「あと『たい焼き以外のより素晴らしい形状焼き』、最後に『不毛な議論で溶かした時間焼き』。」

U「おっけー、和菓子屋行こうぜ。」

僕「でも僕正直クレープのが好き……」

U「黙れ。頼むから。」

 

 

ということになりました。明日からよろしくお願いします🙏

あけました2026抱負おめでとう

日記 1月1日

あけましたおめでとうございます!

今年もよろしくお願いします!!

抱負は「薫習」です。研究のお勉強や新生活、肌に香りが染み付くように、じっくり腰を据えて取り組みたいなと思います。

今年は「愛も青春もなかった旅立ち」「ドキッ!?友達0の大学院進学!?」や「Dちゃんさん、Mくん、裏切りの上京」などが盛り沢山なので、何とか頑張りたいところです。

既になんとなく「詰み」感が漂っていますが、何とかサバイブを目論んでいます。特にやばいのが3つ目。僕のブログにレベルの高いネタをオールウェイズ提供してくれていたふたりがいなくなるのは、これはもう僕にとっても仙台市に25億人いるDちゃんさんファンにとっても、終末を意味します。まあ唯一良かったことはイケメンモテモテ枠が空くことですね。絶対俺がその座奪ってやるからな。

 

早いもので、2026年も既に1日過ぎようとしていますね。今日の僕のスケジュールを見てみると

0:00-2:00 酒飲み過ぎてゲロ男

2:00-13:00 睡眠死体男

13:00-16:00ベットで漫画読む男

16:00-20:00 家族の運転足男

20:00-23:00 酒飲んでゲロ男

23:00-24:00 鬱ブログ更新男

 

……一年の計は元旦にありなんて言いますが、ゲロの匂いが染み付いています。これはもう無理そうですね。来年まで寝る男しようと思います。それではみなさんよいお年を!

2025の振り返り

日記 12月31日

早いもので、今年も終わりとなりました。一年間ありがとうございました。年末は紅白派、年越しの瞬間だけ地上にいるでお馴染み、皆さんの終日の入りこと逢導ですどうもどうもごきげんや!

年末なのでゆるく行きましょう。明日から本気出す。

今年は4月くらいまで人間関係絡みの鬱、8月院試で鬱、12月は来る大学院生活を思って鬱という、鬱の無呼吸連打でしたね。しかもネタにもしづらい!

ただ、圧力が弾力性を復元するように、痛みが輪郭を規定するように、価値のある苦しみだったと思いたい。少なくとも、未来からはそういう風に意味付けしてやらないと、当時の自分が報われない。「物語」化して、解釈し、供養してやらなくてはという気持ちです。

あと、なんとなく将来が見えた気がします。諦念とも言えますが。

ダイアリーでは毎日投稿をやめて、アイデアが満ちた時に、生成AIなんかを活用しつつ、ちょこちょこ記事を書く方針に変えました。個人的にはかなり質が上がった気がします。自分がいちばん自分のネタを愛している。

やはり毎日投稿は悪ですね。(ダイアリーとは? )

今年読んだ本は72?冊ですかね。裏でちょこちょこ新書を読んでました。1ヶ月あたり6冊と考えれば、そこまでですね。。。やはり院試は悪。個人的に刺さったのは夏目漱石の『草枕』。

小説や、エツセースも増設しました。裏でちょこちょこ考えていたものを形にしたのですが、ブログ全体の雰囲気が分離するのでどうしようかなあという気持ちです。笑いにくくなりますよね。

らしくないですが、笑いは状況(コンテクスト)の客観化だと思ってます。笑いに落とし込むことで、分析可能な「物語」として客観化される。だから、笑いのあるコミュニティは知的だし強い。その意味で、東北大にいながら、定期的に爆笑させて(ネタ提供してくれる)僕の同期たちは有難い友人だなと思うのです。

彼女の数は増減なしですね。0to0。ダイバージェンス=0。あーあ。

そこまで大きな出来事もないけど、大きな時間感覚で見ると、確実に「自分史」の中に編み込まれるような歳なのかななんて思います。

良かったのかな。良かったと思いましょう。

最後に敬愛なる同期メンへ。今年もきさめらのおかげで楽しかったです!また来年も(ネタ提供)よろしくな!例の山盛り焼きそば食いにいきましょう!

 

それでは皆さん良いお年を!僕は昼の残りの蕎麦をアホほど食べてきます!チュッチュッ♡‬

日常の「絶対化」〜谷川流『涼宮ハルヒの消失』感想〜

涼宮ハルヒの消失

 

あらすじ

「涼宮ハルヒ?それ誰?」って国木田よ、そう思いたくなる気持ちは分からんでもないが、そんなに真顔で言うことはないだろう。
だが、他のやつらもハルヒなんか最初からいなかったような口ぶりだ。
混乱する俺に追い討ちをかけるようにニコニコ笑顔で教室に現れた女は、俺を殺そうとし、消失したはずの委員長・朝倉涼子だった!
どうやら俺はちっとも笑えない状況におかれてしまったらしいな。
大人気シリーズ第4巻、驚愕のスタート!

 

感想

__感想を頼めるか?

「可能。ただ、下手なことを書くとその解釈に時空平面が固定化される。推奨はできない」

__いい。それでも俺はお前を信じてる。

 

とにかく面白い超面白い

最高傑作と名高い『消失』。噂に違わぬ内容でした。

いやーそれにしても面白いこと面白いこと!長い物語の面白さについて前回語りましたが、もうそれがこれでもか!と、ケチらずアホほど詰め込まれている。それこそ「闇鍋」的魔作。

『憂鬱』でのキョンの選択のリフレイン。『笹の葉』の伏線回収。そして『退屈』全体で描かれた長門の問題の結末。異常性のないSOS団という皆が見たかったifに、SFとミステリと萌えとジュブナイルとセカイ系が混ざる。しかしそんな混沌の中にあってなお、味は「日常/普通/大人になるとは何か?」という「ハルヒ味」を確かに残しています。過去を余すところなく燃料に、時空も、異常能力も、常識もぶち抜いていく。そんなん面白いやんの連続。

名作たる長編物語って、絶対盛り上がる要素を1つの話に幾つもぶち込むという、ある種の羽振りの良さがある気がします。

ただ、ここまでのものを見せられると感想を書く側は「とにかく面白ぇ!」意外言うことないですね……

 

「消失」世界

論理学の最も自明な事実に、「A=BもしくはA≠B」というものがあります。A=B、つまり同一性は反復という形で現れ、A≠Bは差異として表現される。そして、物語のふたつの場面において、それらがある部分では前者の論理が、他の部分では後者の論理が適応され、渾然一体となるところに、「対比」が生まれ、意味が生まれる。ほとんど同じもの同士を重ね合わせた時、ほんの僅かに異なるところにその物語の主張が詰まっている……というのは、僕の好きな言説なのですが、「消失」の世界(改変された世界)はこれでもかと対比に満ちています。同じ人物が生きている。しかし、いるべき人がいなくて、居てはならない人がいる。在るべきものがなくて、ないと思われていたものがある。

涼宮ハルヒとキョンはとことん対になる存在だと思ってやまないのですが、この世界ではいつかのハルヒのように、キョンが校内中で「異常者」として扱われているのが面白いですね。また、SOS団のメンバーに対しても、かつて「世界の秘密を打ち明けられていた」キョンが、消失世界では「平行世界の存在を語る」存在になっているのも対比。ハルヒ視点では、「転校生」だった古泉のみが「初めから同じ高校」になってるのも対比ですよね。キョンは完全に異世界人になっている。

何かがおかしい。でも、どこが間違いかが分からない。そんな時、確実に使える処方箋が一つだけあります。それはオリジンに戻ること。初めからもう一度再構築し直すのです。長門が意識したのか、それとも情報生命体すらも抗えぬ世界の真理か、まさにコンピュータの「再起動」。キョンは奔走し、かつてハルヒが第1巻たる『憂鬱』にて行ったようにSOS団のメンバーを部室に集めることに成功します。しかしそれだけでは事態は解決せず、もうひとつのオリジン、3年前の七夕へと回帰するのです。

やはり「笹の葉ラプソディ」はハルヒ世界の第1話であって、独立した一葉でなく枝であるが故に、単独で存在していなかった。ただ、それがまさか2つの世界という特大の分枝を支えるほど極太とは思っていませんでしたが……

最後には、真相編を兼ねて長門が改変を行った瞬間、真のオリジンで決着がつくと。

シリーズを通して描かれる「日常」とは、なんでしょうか。それは差異の殆どない無意味だが尊ぶべき反復です。しかし、その日常(ケ)が何らかの断絶によって失われた場合(ケガレ)はどうするのが正解か。古代人の知恵では、オリジンたる神話を反復する祝祭(ハレ)によって日常を回復させるとのこと。キョンはこれを完全に再現しました。すなわち、『憂鬱』でハルヒとキョンがなぞった道筋を、『笹の葉ラプソディ』でかつての自分が幼いハルヒに話しかけたという事実を反復することで、見事に日常を復活させていく。最後には、自らが殺されるシーンへの介入までを反復することが示唆され……作者の人そこまで考えてないと思うよ案件な気がしますが、タイムトラベルと民俗学的な日常を「反復」という点で重ねさせてみる。そんなのも面白い見方だと感じるのです。

 

長門有希

おいなんだこいつ可愛すぎないか?????そんなのさぁ!!好きになっちゃうじゃんよ!!!

『退屈』で書きましたが、ちょっとあざとすぎる。これじゃ「あざとゆき」どころか「あざとすぎ」だよ〜!世界線を超えるという荒業でギャップ萌えを実現するカワイイヤクザ。

『退屈』での予想通り過去改変能力者でしたね。遡及的に『退屈』の構造の美しさも保証されました。構造厨なので嬉しいですね。

そんな構造厨的には、キョンと別の意味でハルヒと対比されるべきなのは長門なんじゃないかと思うことがあります。『憂鬱』では、ハルヒの異常性は「王子様のキスで目覚める」というありふれたストーリーに帰着する形で矮小化され、『消失』では長門の異常性が「感情を持ったロボット」というこれまたありふれたストーリーに帰着する。神人に脅えていたハルヒと、キョンに脅えていた長門も重なります。

何も知らないで世界を書き換える少女と、全てを知った上で世界を書き換える少女。異常を求める少年の前に現れた異常しかない異世界と、平凡を求める少年の前に現れた異常のない異世界。そういえば、消失世界の長門は中盤小説を書いていましたよね。『溜息』ではハルヒは映画監督(創造主)としての役割だったことをふまえると、同じく「創造主」という立場を想起させ、まあこの騒動の犯人は長門だろうなと予想できるようになっていました。感覚で世界を書き換えるハルヒと、全てを言語化して書き換えていく長門の対比っぽくもありますね。

しかし、そこまで重なる要素があってなお、ハルヒとは口付けで元の世界に帰り、長門には銃を突きつけることで元の世界に戻る。そこにある絶望的な差異の断絶に、長門の悲哀を感じざるを得ないですね。

この対比から踏まえると、長門はキョンへの恋心もありながら、もっと言うと「全能感」に絶望したのかななんて気もしてきます。『溜息』のハルヒは思春期の全能感に駆られてSOS団を振り回し、キョンは無力感に辟易していた。彼ら二人を監視し続ける万能にして世界の全てを知る(=多層性を奪われた)長門は、その姿の憧憬からか、いつしか自身の持つ力の必要のない世界を作り上げた。ただ、かつてハルヒが自身の思い通りにならない男の子を閉鎖空間に入れたように、長門も思い通りにならない男の子を自身の世界に入れた。こう見ると対比が綺麗に決まりますし、全能感と多層性というハルヒのテーマにも繋がる。

もうひとつ考えられるのは、長門は「ハルヒより成長の遅い存在」の象徴なのかなとも。感情というバグが産まれたばかりの長門は、殆ど子供のようなもの。ハルヒ(とキョン)が陥った思春期特有の悩みは、感情持つ者に対して恐ろしく平等でした。『憂鬱』ではハルヒはみくるちゃんに嫉妬して閉鎖空間を生み出していたのを見るに、『消失』事件の原因は長門がハルヒに嫉妬したものと考えられるのかな。何よりこう見ると、大人の象徴としての朝比奈、キョンと同年代のハルヒ、そしてハルヒよりも幼い長門と三人娘がそれぞれ未来現在過去に綺麗に対応しますしね。長門(というより情報生命体)が「成長」のために涼宮ハルヒと接触しているというのも、示唆的に見えます。ハルヒに1歩遅れる形で、ハルヒと似た事件を起こす。しかし、それは「日常という現在」を肯定するこの物語とキョンという主人公において、ハルヒとは異なる悲しい結末を運命づけられてしまったとして、あの結末にも説明が着きます。みくる(大)が3年前の七夕で出張ってきて、キョンに思い出話をしたのもいかにも「大人」的な哀愁がありますよね。ただこの解釈だと、古泉お前は何者なんだ。成長(自我)を放棄した組織の歯車みたいな感じなのかな。

ううむ難しいですね。

あとSOS団、キョンとハルヒ以外の仲が悪すぎない?彼らって長門と古泉と朝比奈さんで遊びに行ったりとかするんですかね。

 

キョンの選択

涼宮ハルヒシリーズが「ハルヒが大人になるまでの物語」であるとする時、避けては通れないのがハルヒと対になるキョンの「大人化」です。『消失』は、ハルヒの影に隠れて描かれなかったキョンの成長を描き出します。

『消失』の中でキョンは、「聖的なもの(SOS団)を見つけ出し、」、「それらを聖地(部室)に集めること」で、「かつての神話(『憂鬱』)を再現し」、「挙句一度死んで再生し」、「世界の創造主たる母(消失長門)を撃ち殺す」という、極度にシンボル化された通過儀礼を行うことで、世界は再構成され、その秩序(コスモス)を取り戻しました。これまで頼りきりだった「長門」を否定することは、母親からの自立、出産を彷彿とさせます。

この儀礼の末にキョンが得た結論は、「世界に対して積極的に関わっていくこと」。やれやれ系をやめた……のかはこの先を見ないと分からないですが。それは『溜息』でハルヒが見せ続けた「万能感、有能感」への接近であり、キョンの「無力感、多層性」への否定です。長門が作った世界は、異常性は一切ない「単層的」世界です。

『憂鬱』ではキョンはハルヒにキスを、(消失)長門には銃を突きつけます。ハルヒは異常な世界にあって日常の象徴。消失長門は異常な世界側の人なのですね。キョンにとっての、日常の肯定が読み取れます。ここに、キョンにとってかつて相対化されていた日常/ハルヒは、最も尊ぶべき物、何があっても元に戻すべきまのに変貌していたこと、すなわち「日常の絶対化」が読み取れます。こうしてキョンは、自身の中に価値軸を打ち立て、「大人」へと1歩進みます。なくなって始めて価値がわかる……というのは、言い古された陳腐な結論ですが、そこに尽きるが故に陳腐化するまで唱えられたのでしょう。

それが『涼宮ハルヒの消失』の顛末と解釈しています。

しかし、今回何となく影が薄かった対の存在たるハルヒにも、そこはもちろんと言うべきか、また別の「消失」を味わっていました。キョンは頭を打って3日間寝ていたんですよね。ハルヒにとっては「キョンの消失」が、あくまで(異常性の隠蔽された)日常の中で起こっていたというのは、面白いですね。この一時的な消失が、彼らにどのような成長をもたらすのかは、冬が終わり、春が来る……彼らが2年生に進級するのを待たなければわからないのでしょう。

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原体験の輝き〜谷川流『涼宮ハルヒの退屈』感想〜

涼宮ハルヒの退屈

あらすじ

ハルヒと出会ってから俺は、すっかり忘れたと言葉だが、あいつの辞書にはいまだに"退屈”という文字が光り輝いているようだ。
その証拠に俺たちSOS団はハルヒの号令のもと、草野球チームを結成し、七夕祭りに一喜一憂、失踪者の捜索に熱中したかと思えば、わざわざ孤島に出向いて殺人事件に巻き込まれてみたりして。まったく、どれだけ暴れればあいつの気が済むのか想像したくもないね……。
非日常系学園ストーリー、天下御免の第3巻!!

 

感想


うう……。感想を書くなんて、本当は禁則事項ですよぅ……。

 

物語論

長い物語は、常として面白い。勿論「面白いから長くなった」という側面もあるが、長い物語には、長いが故に使える武器が許される。それは過去の名シーンのリフレインであったり、遥か昔の伏線を回収する瞬間であったり、因縁の相手との対決である。長い物語と短い物語、キャラクターが同じ結論に至っても、時間の重みとでもいうべきものが、その結論に付与される。面白さが過去の要素のコンビネーションによって造られるならば、長い物語は指数関数的に面白くなっていくだろう。過去を燃料に加速し、もはや作者でも手に負えないのではという程のミサイルになって、全てをぶち抜いていく。長い物語を勧められるとき、その「長さゆえの魅力」を語られると、それは卑怯だとすら思う。長い物語は確かに「面白い」。

しかしそれは、短い物語の価値を減ずるものでは断じてない。枝葉を極限まで削り、真に必要な要素だけを抽出した時、そこに残るのはその物語を書こうとした作者の意志の結晶であって、原体験の混沌であり、抜き身の刀のような妖しい輝きである。長い物語が、じんわりと浸透していくような「面白さ」ならば、短い物語は釘のような鋭さと素早さをもった「面白さ」だと思う。

涼宮ハルヒの退屈は、「長」いシリーズの中に位置する4つの「短」編という、風変わりな形式でもって、その「面白さ」を釘のように突き刺し、しかもミサイルのように加速させていく。

 

涼宮ハルヒの退屈

表題作ですね。なんというか、ハルヒシリーズミニマムといった感じです。ハルヒの二次創作っぽさも感じます。ハルヒがイベントを持ってきて、それに悪態つきながら参加するキョン、巻き込まれるSOS団。その途中でハルヒの能力から世界が危機に陥って、奔走する……

あとがきによると、なるほど最初に連載された作品らしいですね。涼宮ハルヒシリーズの枝葉を全部もぎ取ったかのような、短編ゆえの魅力がよく出ています。それでいながら、SOS団の面々のキャラもしっかり立っていますね。自由奔放なハルヒ、面倒見のいいキョン、可愛さ全開のみくるちゃん、クールで不思議な長門、飄々とした古泉。まるで入学前体験授業のような雰囲気だあ……


涼宮ハルヒシリーズって、こうした短編を量産できるフォーマットになってると思うんです。涼宮ハルヒの存在によって、キャラ立ちすぎな曲者たちを自然とイベントに参加させられる。何か不合理なことがあっても、「ハルヒがそう望んだから」で解決。

それが「ハルヒが大人になる」というメインプロットが極限まで薄まると、こんな物語ばかりになる気がします。横軸(サブストーリー)と縦軸(メインストーリー)と言えばいいのでしょうか?コナンとかもそんな感じですよね。横軸となる「行く先々で子供の姿の名探偵が事件に遭遇、華麗に推理し解決」を繰り返す。「黒の組織との対決」という縦軸のメインプロットは遅々として進まない。

面白いのは、枝葉を削ぎ落とした結果、横軸が残るという点ですね。横軸が強い作品は、キャラクターが魅力的であったり、世界観が魅力的だからやっていけてるのだと思っています。アンパンマンとかドラえもんは、キャラの掛け合いや魅力的な設定だけで引っ張っている。アンパンマンとバイキンマンの決着を望んだり、のび太のテストの点数が連載ごとに上がっていくことを望んでる奴はいないんですね。確かにハルヒシリーズもキャラクターが魅力的。


ちょっと深読みすると、本作は「リフレイン」が多用されてますよね。リフレインがリフレインする(?) 上述した通り、何度も繰り返せるような横軸のみ構造もそうですが、野球というフォーマットも攻守が何度も繰り返されますし、長門のインチキホームランも執拗に繰り返される。挙句には、ハルヒが他の競技大会のチラシを持ってきて、物語自体を繰り返す。まだ僕は辿り着いていませんが、物議を醸したエンドレスエイトを思わせるものがありますね。作者の人そこまで考えてないと思うよ案件かもしれませんが。


そういう意味で、やはり原体験の輝き、プロトタイプらしさだなあなんて思うわけです。

 

笹の葉ラプソディ

『退屈』が現実世界におけるハルヒシリーズの「第1話」とすると、ハルヒ世界の時間軸における「第1話」なのかなと思います。過去、実はハルヒとキョンは会っていた!7月7日の時間も世界線も超えるボーイミーツガール。まるで織姫と彦星のよう!なんてロマンティックなんでしょう……。という作品だと理解しました。

ただその軸に対して盛り込まれるノイズがあまりにも強力なこと!長門の時間停止、古泉のチェスの話、大人みくるちゃんの不可解な動き…… 謎が謎を呼び、全員訳知り顔で翻弄してくる。挙句の果てに、キョンが時間軸を移動したことで、「まだ会ったことないな」と言っている異世界人そのものになってしまっていた!!という衝撃的なオチ。

そんな常識も自分も揺らいでしまうなか、中学時代から変わらないハルヒの安心感が際立ちますね。『憂鬱』でも描かれたハルヒが常識側となる感覚。

『退屈』が横軸なら、こっちは縦軸を小さく切り取って見せてくるものでした。しかし、縦軸は葉ではなく、あくまで枝であり、それ故に単独では存在しえず、脈々と繋がっていないとならないのです。そういう意味では、大量の伏線と、謎と、複雑性を有した重なり合った世界が残るエピソードでした。『溜息』でキョンがハルヒに教えた、世界の多層性を表現しているのだと思います。個人的には、多層性と万能感という青春のアンビバレントに照らすと、『退屈』と対になる短編。

 

ミステリックサイン

長門回。後半3話は笹の葉でみくるちゃん、ミステリックサインで長門、孤島症候群で古泉を掘り下げていくのかな。「憂鬱」がハルヒとキョンの二面性と対称性を掘り下げる話なら、本作の短編は他のキャラの多面性を掘り下げる感じ。

それにしてもあざとい。これじゃあ長門有希じゃなくて「あざとゆき」だよ〜!無口で万能、人間味のない少女が、実は「一人は寂しい」という等身大の悩みを持っていた......!そりゃ人気も出ますわ。みくるちゃん回にも出張ってきてますからね。みくるちゃん回では当のみくるちゃん(高校生)は半分くらい爆睡かましてた訳ですからね。

SOSのサインを消したのが長門というところも示唆的です。結局誰のSOSだったのか。ハルヒが無意識で出した憂鬱への救難信号が、実は長門にも重なっていたと思っています。

孤島症候群の感想も含むのですが、涼宮ハルヒのキャラは、どいつもこいつも多層性を持っている……と、「憂鬱」でも書いたのですが、本作の各掌編では、一般人に見える未来人宇宙人超能力者という所からさらに進んだ対比が描かれていますね。「ドジっ子で初心な少女」が「煙に巻いてくる大人びたセクシーお姉さん」に。「クールで頼れる無機質な少女」が「寂しさにSOSを出していた女の子」に。「にこやかで柔和な男子高校生」が「友人を殺人鬼に仕立てあげるほど策略を張り巡らす男」に。これがギャップ萌えですか。魅力的な作品には魅力的なキャラが不可欠ですよね。

しかしその全てがハルヒには秘匿され、キョンにしか見えないようになっている。そのギャップの結末が、万能感と多層性、「退屈」で見せたあの喧嘩だったのかななんて。

 

孤島症候群

なあ!最高だぜこの短編!こういうのもっとくれよ!なあいいだろ?

個人的に本書の中で一番の傑作です。予想通り古泉回。そして水着回。やったね。

ハルヒという物語の特異性をミステリとして丁寧に丁寧に再解釈した物語です。「殺人事件の犯人は誰だ?(フーダニット)」の上に、「本当に事件は起きたのか?(ホワットダニット)」というメタ的な謎が重なる。2つの謎が同時に展開され、そしてハルヒらしい結末……多層性とハルヒの二面性によって同時に解決される結末は見事の一言。超能力(長門の体温計測)や一人二役(被害者も仕込み役)が平気で出てくるように、ノックスの十戒なんて知ったこっちゃねぇ!といった感じですが、それでもキョンの推理は「ハルヒ世界」においては通用する程の論理です。

いやー、それにしても僕、理性が「感情的には認めたくない結論」を導いてしまうのが大好きなんですよ。殺人事件を望んでたハルヒの到達した現実は、「本当に人が死ぬ」。それどころか、「キョンが殺人者になる」というあまりにも絶望的な真実。
ここまでが短編としての本作の感想、ここからはシリーズないし本書全体としての考察です。

以下は個人的な考察ですし、余りにも根拠薄弱の推理ですが、「事件は本当に起きていた」のだと思います。つまり、ハルヒは殺人と、解決可能な事件を望んでいた。しかしその望みによる改変は「キョンが人を殺していた」という結論を導くもので、それによる動揺による世界崩壊を防ぐためにハルヒの能力か長門の過去改変かが行われ、「組織の仕業になった」。ハルヒとキョン、対になる2人の探偵の推理は共に正しかった。今のところハルヒの力が過去改変にまで及ぶことは無さそうだし、長門の仕業のような気がしますね。笹の葉で実際にやってるし、扉を開けなかった謎行動にも「改変中だった」という理由がつきます。

何よりこう考えると本書全体が「長門有希」を釘として見事に貫かれます。平凡だけど、輝かしい日常としての『涼宮ハルヒの退屈』。過去改変が示唆され、朝比奈さんの大迷惑行動の結果長門に「寂しさ」というバグが生じた『笹の葉ラプソディ』。その結果これまではなかったSOS団を連れたカマドウマ退治を行う決断を行い、SOSを消した『 ミステリックサイン』。そして日常を取り戻すために過去改変を行った『孤島症候群』。

多分長門が改変を行わなかった場合、ハルヒが物語中「ワインに懲りたように」心から反省しSOS団は解散するか、それとも動揺から世界は崩壊するか……とにかく日常が失われる代わりに、世界は安定するのでしょう。どちらにしても情報生命体としては「仕方の無い」こととして処理されるんでしょうね。しかし、それを一人の少女が「輝かしい日常」を求めるために捨て去ってしまった。

単なる妄想です。ただ、それの方が美しいじゃないですか。ハルヒとキョンが「憂鬱」で日常を肯定したことのリフレインとなるように、長門有希もSOS団での日常を選び取っていて欲しい。願わくば、古泉もみくるちゃんも。それこそが「憂鬱」で描き出された核となるテーマ、原体験の輝きだったんじゃないでしょうか。

このミステリの真の真相が明かされる日が来るのでしょうかね。明かされるとすれば、長門が何かをやらかすとか、ハルヒに過去改変をして大変なことになるみたいなストーリーになるんじゃないかなと予想します。が、それはこの物語の価値を減ずるものでは断じてありません。ハルヒ世界は本質的に多層性のある世界であって、全ての解釈が同様に許容されるべきなのです。

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