涼宮ハルヒの退屈
あらすじ
ハルヒと出会ってから俺は、すっかり忘れたと言葉だが、あいつの辞書にはいまだに"退屈”という文字が光り輝いているようだ。
その証拠に俺たちSOS団はハルヒの号令のもと、草野球チームを結成し、七夕祭りに一喜一憂、失踪者の捜索に熱中したかと思えば、わざわざ孤島に出向いて殺人事件に巻き込まれてみたりして。まったく、どれだけ暴れればあいつの気が済むのか想像したくもないね……。
非日常系学園ストーリー、天下御免の第3巻!!
感想
うう……。感想を書くなんて、本当は禁則事項ですよぅ……。
物語論
長い物語は、常として面白い。勿論「面白いから長くなった」という側面もあるが、長い物語には、長いが故に使える武器が許される。それは過去の名シーンのリフレインであったり、遥か昔の伏線を回収する瞬間であったり、因縁の相手との対決である。長い物語と短い物語、キャラクターが同じ結論に至っても、時間の重みとでもいうべきものが、その結論に付与される。面白さが過去の要素のコンビネーションによって造られるならば、長い物語は指数関数的に面白くなっていくだろう。過去を燃料に加速し、もはや作者でも手に負えないのではという程のミサイルになって、全てをぶち抜いていく。長い物語を勧められるとき、その「長さゆえの魅力」を語られると、それは卑怯だとすら思う。長い物語は確かに「面白い」。
しかしそれは、短い物語の価値を減ずるものでは断じてない。枝葉を極限まで削り、真に必要な要素だけを抽出した時、そこに残るのはその物語を書こうとした作者の意志の結晶であって、原体験の混沌であり、抜き身の刀のような妖しい輝きである。長い物語が、じんわりと浸透していくような「面白さ」ならば、短い物語は釘のような鋭さと素早さをもった「面白さ」だと思う。
涼宮ハルヒの退屈は、「長」いシリーズの中に位置する4つの「短」編という、風変わりな形式でもって、その「面白さ」を釘のように突き刺し、しかもミサイルのように加速させていく。
涼宮ハルヒの退屈
表題作ですね。なんというか、ハルヒシリーズミニマムといった感じです。ハルヒの二次創作っぽさも感じます。ハルヒがイベントを持ってきて、それに悪態つきながら参加するキョン、巻き込まれるSOS団。その途中でハルヒの能力から世界が危機に陥って、奔走する……
あとがきによると、なるほど最初に連載された作品らしいですね。涼宮ハルヒシリーズの枝葉を全部もぎ取ったかのような、短編ゆえの魅力がよく出ています。それでいながら、SOS団の面々のキャラもしっかり立っていますね。自由奔放なハルヒ、面倒見のいいキョン、可愛さ全開のみくるちゃん、クールで不思議な長門、飄々とした古泉。まるで入学前体験授業のような雰囲気だあ……
涼宮ハルヒシリーズって、こうした短編を量産できるフォーマットになってると思うんです。涼宮ハルヒの存在によって、キャラ立ちすぎな曲者たちを自然とイベントに参加させられる。何か不合理なことがあっても、「ハルヒがそう望んだから」で解決。
それが「ハルヒが大人になる」というメインプロットが極限まで薄まると、こんな物語ばかりになる気がします。横軸(サブストーリー)と縦軸(メインストーリー)と言えばいいのでしょうか?コナンとかもそんな感じですよね。横軸となる「行く先々で子供の姿の名探偵が事件に遭遇、華麗に推理し解決」を繰り返す。「黒の組織との対決」という縦軸のメインプロットは遅々として進まない。
面白いのは、枝葉を削ぎ落とした結果、横軸が残るという点ですね。横軸が強い作品は、キャラクターが魅力的であったり、世界観が魅力的だからやっていけてるのだと思っています。アンパンマンとかドラえもんは、キャラの掛け合いや魅力的な設定だけで引っ張っている。アンパンマンとバイキンマンの決着を望んだり、のび太のテストの点数が連載ごとに上がっていくことを望んでる奴はいないんですね。確かにハルヒシリーズもキャラクターが魅力的。
ちょっと深読みすると、本作は「リフレイン」が多用されてますよね。リフレインがリフレインする(?) 上述した通り、何度も繰り返せるような横軸のみ構造もそうですが、野球というフォーマットも攻守が何度も繰り返されますし、長門のインチキホームランも執拗に繰り返される。挙句には、ハルヒが他の競技大会のチラシを持ってきて、物語自体を繰り返す。まだ僕は辿り着いていませんが、物議を醸したエンドレスエイトを思わせるものがありますね。作者の人そこまで考えてないと思うよ案件かもしれませんが。
そういう意味で、やはり原体験の輝き、プロトタイプらしさだなあなんて思うわけです。
笹の葉ラプソディ
『退屈』が現実世界におけるハルヒシリーズの「第1話」とすると、ハルヒ世界の時間軸における「第1話」なのかなと思います。過去、実はハルヒとキョンは会っていた!7月7日の時間も世界線も超えるボーイミーツガール。まるで織姫と彦星のよう!なんてロマンティックなんでしょう……。という作品だと理解しました。
ただその軸に対して盛り込まれるノイズがあまりにも強力なこと!長門の時間停止、古泉のチェスの話、大人みくるちゃんの不可解な動き…… 謎が謎を呼び、全員訳知り顔で翻弄してくる。挙句の果てに、キョンが時間軸を移動したことで、「まだ会ったことないな」と言っている異世界人そのものになってしまっていた!!という衝撃的なオチ。
そんな常識も自分も揺らいでしまうなか、中学時代から変わらないハルヒの安心感が際立ちますね。『憂鬱』でも描かれたハルヒが常識側となる感覚。
『退屈』が横軸なら、こっちは縦軸を小さく切り取って見せてくるものでした。しかし、縦軸は葉ではなく、あくまで枝であり、それ故に単独では存在しえず、脈々と繋がっていないとならないのです。そういう意味では、大量の伏線と、謎と、複雑性を有した重なり合った世界が残るエピソードでした。『溜息』でキョンがハルヒに教えた、世界の多層性を表現しているのだと思います。個人的には、多層性と万能感という青春のアンビバレントに照らすと、『退屈』と対になる短編。
ミステリックサイン
長門回。後半3話は笹の葉でみくるちゃん、ミステリックサインで長門、孤島症候群で古泉を掘り下げていくのかな。「憂鬱」がハルヒとキョンの二面性と対称性を掘り下げる話なら、本作の短編は他のキャラの多面性を掘り下げる感じ。
それにしてもあざとい。これじゃあ長門有希じゃなくて「あざとゆき」だよ〜!無口で万能、人間味のない少女が、実は「一人は寂しい」という等身大の悩みを持っていた......!そりゃ人気も出ますわ。みくるちゃん回にも出張ってきてますからね。みくるちゃん回では当のみくるちゃん(高校生)は半分くらい爆睡かましてた訳ですからね。
SOSのサインを消したのが長門というところも示唆的です。結局誰のSOSだったのか。ハルヒが無意識で出した憂鬱への救難信号が、実は長門にも重なっていたと思っています。
孤島症候群の感想も含むのですが、涼宮ハルヒのキャラは、どいつもこいつも多層性を持っている……と、「憂鬱」でも書いたのですが、本作の各掌編では、一般人に見える未来人宇宙人超能力者という所からさらに進んだ対比が描かれていますね。「ドジっ子で初心な少女」が「煙に巻いてくる大人びたセクシーお姉さん」に。「クールで頼れる無機質な少女」が「寂しさにSOSを出していた女の子」に。「にこやかで柔和な男子高校生」が「友人を殺人鬼に仕立てあげるほど策略を張り巡らす男」に。これがギャップ萌えですか。魅力的な作品には魅力的なキャラが不可欠ですよね。
しかしその全てがハルヒには秘匿され、キョンにしか見えないようになっている。そのギャップの結末が、万能感と多層性、「退屈」で見せたあの喧嘩だったのかななんて。
孤島症候群
なあ!最高だぜこの短編!こういうのもっとくれよ!なあいいだろ?
個人的に本書の中で一番の傑作です。予想通り古泉回。そして水着回。やったね。
ハルヒという物語の特異性をミステリとして丁寧に丁寧に再解釈した物語です。「殺人事件の犯人は誰だ?(フーダニット)」の上に、「本当に事件は起きたのか?(ホワットダニット)」というメタ的な謎が重なる。2つの謎が同時に展開され、そしてハルヒらしい結末……多層性とハルヒの二面性によって同時に解決される結末は見事の一言。超能力(長門の体温計測)や一人二役(被害者も仕込み役)が平気で出てくるように、ノックスの十戒なんて知ったこっちゃねぇ!といった感じですが、それでもキョンの推理は「ハルヒ世界」においては通用する程の論理です。
いやー、それにしても僕、理性が「感情的には認めたくない結論」を導いてしまうのが大好きなんですよ。殺人事件を望んでたハルヒの到達した現実は、「本当に人が死ぬ」。それどころか、「キョンが殺人者になる」というあまりにも絶望的な真実。
ここまでが短編としての本作の感想、ここからはシリーズないし本書全体としての考察です。
以下は個人的な考察ですし、余りにも根拠薄弱の推理ですが、「事件は本当に起きていた」のだと思います。つまり、ハルヒは殺人と、解決可能な事件を望んでいた。しかしその望みによる改変は「キョンが人を殺していた」という結論を導くもので、それによる動揺による世界崩壊を防ぐためにハルヒの能力か長門の過去改変かが行われ、「組織の仕業になった」。ハルヒとキョン、対になる2人の探偵の推理は共に正しかった。今のところハルヒの力が過去改変にまで及ぶことは無さそうだし、長門の仕業のような気がしますね。笹の葉で実際にやってるし、扉を開けなかった謎行動にも「改変中だった」という理由がつきます。
何よりこう考えると本書全体が「長門有希」を釘として見事に貫かれます。平凡だけど、輝かしい日常としての『涼宮ハルヒの退屈』。過去改変が示唆され、朝比奈さんの大迷惑行動の結果長門に「寂しさ」というバグが生じた『笹の葉ラプソディ』。その結果これまではなかったSOS団を連れたカマドウマ退治を行う決断を行い、SOSを消した『 ミステリックサイン』。そして日常を取り戻すために過去改変を行った『孤島症候群』。
多分長門が改変を行わなかった場合、ハルヒが物語中「ワインに懲りたように」心から反省しSOS団は解散するか、それとも動揺から世界は崩壊するか……とにかく日常が失われる代わりに、世界は安定するのでしょう。どちらにしても情報生命体としては「仕方の無い」こととして処理されるんでしょうね。しかし、それを一人の少女が「輝かしい日常」を求めるために捨て去ってしまった。
単なる妄想です。ただ、それの方が美しいじゃないですか。ハルヒとキョンが「憂鬱」で日常を肯定したことのリフレインとなるように、長門有希もSOS団での日常を選び取っていて欲しい。願わくば、古泉もみくるちゃんも。それこそが「憂鬱」で描き出された核となるテーマ、原体験の輝きだったんじゃないでしょうか。
このミステリの真の真相が明かされる日が来るのでしょうかね。明かされるとすれば、長門が何かをやらかすとか、ハルヒに過去改変をして大変なことになるみたいなストーリーになるんじゃないかなと予想します。が、それはこの物語の価値を減ずるものでは断じてありません。ハルヒ世界は本質的に多層性のある世界であって、全ての解釈が同様に許容されるべきなのです。
