チベスナダイアリー

誰もまだ此れ程の阿呆の日常をありのままに書いたものはない。

訓戒 ver4.0

私も中学は嫌いでした。最も、芥川の時代と今の中学は生徒の年齢も制度も別だったとは思いますが、それでもこの文は私の心情をかなり正確に表現していると感じました。

 

1

「すると、英雄の器と云うのは、勘定に明いと云う事かね。」

(芥川龍之介『英雄の器』より)

2

今はその青年の名も覚えて居りませんが、その作品が非常によかつたので、今でもそのテエマは覚えてゐるのですが、その青年の事は、折々今でも思ひ出します。才を抱いて、埋もれてゆく人は、外にも沢山ある事と思ひます。

(芥川龍之介『1人の無名作家』より)

3

十二時には必ず寝ることにしてゐる。今夜もまづ本を閉ぢ、それからあした坐り次第、直に仕事にかかれるやうに机の上を片づける。

(芥川龍之介『霜夜』より)

4

「森羅万象が悉く我々の為にあると云ふ事実は、最早何等の疑ひをも容れる余地がない。」

(中略)

「蛇も我々蛙の為にある。蛇が食はなかつたら、蛙はふえるのに相違ない。ふえれば、池が、――世界が必ず狭くなる。だから、蛇が我々蛙を食ひに来るのである。食はれた蛙は、多数の幸福の為に捧げられた犠牲だと思ふがいい。さうだ。蛇も我々蛙の為にある。世界にありとあらゆる物は、悉く蛙の為にあるのだ。神の御名は讃む可きかな。」

(芥川龍之介『蛙』より)

5

(編者補足:「れげんだ・おうれあ」なる書物は存在しない。)

以上採録したる「奉教人の死」は、該がい「れげんだ・おうれあ」下巻第二章に依るものにして、恐らくは当時長崎の一西教寺院に起りし、事実の忠実なる記録ならんか。

(芥川龍之介奉教人の死』より)

6

彼は彼の友だちのように日光や鎌倉へ行かれなかった。けれども毎朝父と一しょに彼の家の近所へ散歩に行った。それは当時の信輔には確かに大きい幸福だった。しかし又彼の友だちの前に得々と話して聞かせるには何か気のひける幸福だった。

(芥川龍之介『大導寺信輔の半生』より)

7

彼は彼等を羨んだ。時には彼等を妬みさえした。しかしその嫉妬や羨望を自認することは肯んじなかった。それは彼等の才能を軽蔑している為だった。

(中略)

「独歩は恋を恋すと言へり。予は憎悪を憎悪せんとす。貧困に対する、虚偽に対する、あらゆる憎悪を憎悪せんとす。……」

(中略)

下層階級の貧困よりもより虚偽に甘んじなければならぬ中流下層階級の貧困の生んだ人間だった。

(芥川龍之介『大導寺信輔の半生』より)

8

中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通り抜けることは僅かに貧困を脱出するたった一つの救命袋だった。

(芥川龍之介『大導寺信輔の半生』より)

9

教師と言うものを最も憎んだのも中学だった。

(中略)

「教育上の責任」は――殊に生徒を処罰する権利はおのずから彼等を暴君にした。彼等は彼等の偏見を生徒の心へ種痘する為には如何なる手段をも選ばなかった。

(中略)

それは彼等の好意を得ることにも何か彼等の権力に媚びる卑しさの潜んでいる為だった。さもなければ彼等の同性愛に媚びる醜さの潜んでいる為だった。彼は彼等の前へ出ると、どうしても自由に振舞われなかった。

(芥川龍之介『大導寺信輔の半生』より)

10

それは言わば転身だった。本の中の人物に変ることだった。

(中略)

しかもそれ等の或ものは一時の転身には限らなかった。

(中略)

この虚偽の感激に充ちた、顔色の蒼白い高等学校の生徒は当時の大導寺信輔よりも寧ろ若いジュリアン・ソレル――「赤と黒」の主人公だった。

(芥川龍之介『大導寺信輔の半生』より)

11

(編者補足:「彼」は友人に素行の良さや肉体的成熟は求めなかった。)

その代りに彼の友だちは頭脳を持たなければならなかった。頭脳を、――がっしりと出来上った頭脳を。彼はどう言う美少年よりもこう言う頭脳の持ち主を愛した。同時に又どう言う君子よりもこう言う頭脳の持ち主を憎んだ。実際彼の友情はいつも幾分か愛の中に憎悪を孕んだ情熱だった。信輔は今日もこの情熱以外に友情のないことを信じている。少くともこの情熱以外に Herr und Knecht(編者補足:奴隷と主人のこと)の臭味を帯びない友情のないことを信じている。

(芥川龍之介『大導寺信輔の半生』より)