チベスナダイアリー

誰もまだ此れ程の阿呆の日常をありのままに書いたものはない。

訓戒 ver2.0

1

僕は機械的にしやべつてゐるうちにだんだん病的な破壊慾を感じ、堯舜を架空の人物にしたのは勿論、「春秋」の著者もずつと後の漢代の人だつたことを話し出した。

(芥川龍之介『歯車』より)

2

一、ロマンスの中の女性は善悪共皆好み候。
二、あゝ云ふ女性は到底この世の中にゐないからに候。

(芥川龍之介『私の好きなロマンス中の女性』より)

3

公衆の批判は、常に正鵠を失しやすいものである。現在の公衆は元より云ふを待たない。

(中略)

明日の公衆の批判と雖も、亦推して知るべきものがありはしないだらうか。

(芥川龍之介『後世』より)

4

時々私は廿年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が来ると云ふ事を想像する。

(芥川龍之介『後世』より)

5

けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に当つて、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を。

(芥川龍之介『後世』より)

6

(編者補足:周囲の人々を嘲っていた中学生の自分達と対比して)

この現代と縁のない洋服を着た、この現代と縁のない老人は、めまぐるしく動く人間の洪水の中に、これもやはり現代を超越した、黒の中折をあみだにかぶって、紫の打紐のついた懐中時計を右の掌の上にのせながら、依然としてポンプの如く時間表の前に佇立しているのである……

(芥川龍之介『父』より)

7

窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。

(中略)

私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れる事が出来たのである。

(芥川龍之介『蜜柑』より)

8

しかしその円頂閣ドオムの窓の前には、影のごとく痩やせた母蜘蛛が、寂しそうに独り蹲うずくまっていた。のみならずそれはいつまで経っても、脚一つ動かす気色けしきさえなかった。

(中略)

天職を果した母親の限りない歓喜を感じながら、いつか死についていたのであった。

――あの蜂を噛み殺した、ほとんど「悪」それ自身のような、真夏の自然に生きている女は。

(芥川龍之介『女』より)

9

自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。

(芥川龍之介『或旧友に送る手記』より)

10

君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであらう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にゐない限り、僕の言葉は風の中の歌のやうに消えることを教へてゐる。従つて僕は君を咎めない。……

(芥川龍之介『或旧友に送る手記』より)

11

大抵は僕の所作を書かうとした。のみならず社会的条件などはその社会的条件の中にゐる僕自身に判然とわかるかどうかも疑はない訣わけには行かないであらう。

(芥川龍之介『或旧友に送る手記』より)

12

僕の第一に考へたことはどうすれば苦まずに死ぬかと云ふことだつた。縊死いしは勿論この目的に最も合する手段である。が、僕は僕自身の縊死してゐる姿を想像し、贅沢ぜいたくにも美的嫌悪を感じた。

(芥川龍之介『或旧友に送る手記』より)

13

(編者補足:自殺は「やむを得ない」場合を除いて罪悪であるとする考えに対して)

しかし第三者の目から見て「やむを得ない」場合と云ふのは見す見すより悲惨に死ななければならぬ非常の変の時にあるものではない。誰でも皆自殺するのは彼自身に「やむを得ない場合」だけに行ふのである。その前に敢然と自殺するものは寧むしろ勇気に富んでゐなければならぬ。

(芥川龍之介『或旧友に送る手記』より)

14

我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。

(中略)

しみじみ「生きる為に生きてゐる」我々人間の哀れさを感じた。若しみづから甘んじて永久の眠りにはひることが出来れば、我々自身の為に幸福でないまでも平和であるには違ひない。

(芥川龍之介『或旧友に送る手記』より)

15

唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。僕は他人よりも見、愛し、且又理解した。それだけは苦しみを重ねた中にも多少僕には満足である。

(芥川龍之介『或旧友に送る手記』より)