チベスナダイアリー

誰もまだ此れ程の阿呆の日常をありのままに書いたものはない。

ショウペンハウエル『思索』を読む③〜第15節まで〜

ショウペンハウエル『思索』を読む③

岩波文庫のショウペンハウエル著「読書について」(齋藤忍随訳)収録の一篇、『思索』を個人的にまとめていきます。全3回を予定。

『思索』を読むシリーズはこちら

chibesuna-diary.hatenablog.com

 

11

思想の世界の我々はあらゆるしがらみから免れ、最高の幸福を見出すことができる。

 

12

我々は得た美しい思想を忘れることは決してあるまいと考える。しかしそれも書きとどめておかなければ完全に忘れられてしまう恐れがある。

 

13

ほとんどの思想は、思索によってその思想にたどりついた人にとってのみ価値をもつ。ただ

少数の思想は、書きおろされた後に他者の関心をうばう力をもつ。

 

14

思想家を、自分のために思索する者と、いきなり他人のために思索する者とに分類することができる。第一のものが真の思想家である。彼らは真剣に事柄を知ろうと努めており、思索に幸福を見出しているのである。第二のものは世間から思想家であると思われることを念願し、名声の中に幸福を求める。

その思想家がどちらかは、その動作を見ればわかる。

 

15

我々の存在とは何かという問いは非常に重要な問題である。だがほとんどの人々はまったくこの問題を取り合わず、別の問題に心をくだき、無為の日々を送っている。ここから人間は単なる動物の一種にすぎないと理解される。人間の平均的な知的視界は、動物の視界を超えてはいても、そこに大きな隔たりがあるわけではない。実際、会話の際、ほとんどの人の思想は短く断片的である。

世界は無意味な騒音に満ちている。思索することが人間の本性ならば、自然は人間に耳をつけなかっただろう。しかし単なる貧弱な動物にすぎない人間には、追跡者の接近を告げ知らせる耳が必要だったのだ。