おいページ数が足んねぇぞ〜古市憲寿『正義の味方が苦手です』の感想・ノート〜
古市憲寿『正義の味方が苦手です』
目次
はじめに
第一章 緊急事態下の脱力法
ヒトは神頼みをやめられない/ファクトは感情に勝てない/日本に呪文使いがいないことを喜ぶ/人間の時代はしばらく終わらない/流行るとはバカにされること/自分が「古く」なることを想像してみる/若者は常に嫉妬される/会ってつまらない人はヒットを生み出せない/「国民」という言葉は要注意/緊急事態には賞味期限がある/問題は「誰と共に生きるか」だ/小倉さんの未来に思いを馳せる/伝統を守る人が文化を破壊する/「地球を守ろう」は嘘まみれ/呑気なのは悪いことだろうか/「10年後」から振り返ってみる視点を持つ
第二章 そんなに頭に血をのぼらせてどうするの
日本は「快適な自由」の設計に失敗してきた/制約はときに創造の母となる/高いところに登りたがるのは誰か/行き過ぎた正義感はパロディの敵である/まずは冷静になって/プロは「バカ」でいい/真の「ミニマリスト」はどこにいる/ユートピア願望は危険性を孕んでいる/一人旅は寂しくない/暴走する正義感が行きつく先は/AIは人間を献身的に働かせる/失言よりも糾弾すべきことがあるはず/「未来人の人権」は守らなくていいのか
第三章 余所者には余所者の幸せがある
中吊り広告は不滅です/嫌な経験こそ記憶にとどめる/「あだ名」は意外と恐ろしい/「専門家」の「政治家」化に注意しよう/書店には生き延びて欲しい/有識者はなぜ頼りにならなかったのか/隈研吾さんは格好よかった/キャンセルカルチャーは危ない/文化は模倣によって発展し、洗練される/松本市長の「覚悟」を讃える/不幸の意味を探し過ぎていないか/大切なのは自分にとっての幸せを理解すること/冬が危ないのは今に始まったことではない/「隠れた人事権」を持つのは誰か/その「フェイク」には価値がある/不安が社会の統制を強化する/余所者だと思って生きていく
第四章 戦争が起き、元総理が殺された
「正義」はいつも都合よく利用される/「素人」は沈黙せざるを得ないのか/優れた物語は国家よりも寿命が長い/こんな簡単に成仏ができるなんて!/SNS時代の戦争は「ゲーム」に見えない/これからも「平和ボケ」を享受できるか/宇宙人襲来で人類は団結できるか/人は立場から自由にはなれない/個人で大きな仕事はできない/「リアル」はどこにあるのか/ソフトパワーは侮れない/「みんなで良いことをする」に怪しさを感じてしまう/小手先の「やった感」が好きな人が多い/苦手な人とはとにかく距離を置く/世界は77年で一回りする/「倍速視聴」は映画への冒涜か/若者はいつだって補導されている/注意散漫でも構わない/安倍さんにはもっとこの世界にいて欲しかった
おわりに
要約
正義と狂気は表裏一体である。認知能力に優れている人ほど、情報を都合よく組みかえて、理想的な物語を作りあげてしまう。誰しも立場や、自分の持つ「歪み」からは逃れられない。大切なのは、お互いが「歪んでいる」と理解しながら、相互理解を図ること。また、偏見や予断をすぐに取り下げる「揺らぐ力」を持っていることだ。
歪みを許さない社会は恐ろしい。
だから、世界を色々な視点で切り取って見てみよう。
感想
この本を読んでいる途中、常に頭にこの言葉がありました。
もともと自分のいだく基本的思想にのみ真理と生命が宿る。我々が真の意味で十分に理解するのも自分の思想だけだからである。書物から読み取った他人の思想は、他人の食べ残し、他人の脱ぎ捨てた古着にすぎない。
(ショウペンハウエル『思索・読書について』より)
この本、はっきり言って僕には合わなかったです…
というのも、本書の各題材がとにかく世論(マジョリティとされている論理)への逆張りにしか見えなかったというのが大きいです。
これは多分作者がよろしくないと言うより、限られた紙面での連載で、あんまし踏み込んだ話ができない。加えて、即時性の強い雑誌という媒体で掲載する以上、時事的な問題を扱うことになり、そこである程度「載せる価値ある」内容にするなら世論に逆らうようなことを書かねばならないので当然だと理解しています。
あとは連載というものは、気に入らなければ次から読まなきゃいいじゃんという感じなんでしょう。それ故に、万人受けする文体や内容ではなく、個人の嗜好や人間性が強く反映されたものが掲載されやすい。連載が続く事に、ファンが読むものになっていく。だから、一冊を通して何かを語る新書と思うとちょっとお門違い。
幾つかの題材で光るものはあったのですが、もう少し深いところまで踏み込んで欲しかったです…… 差し込まれる参考文献の多さからも、かなり博識で実際はもっと有機的な考えであったり、還元主義的な「社会学者らしい」分析もできるとは思うのですが、無念。
とにかく本書だけでは、他人の本の賢そうな一説を引用し(振り回され)て、逆張りして、最後にうまいこと言っているようにしか見えなかったのが残念。まあこれは自戒でもありますが。何となく星新一を彷彿とさせる本でした。あれも短編で、全体的に一発ネタ的で、一冊の中での差が激しい。
更に自戒をするなら、各題材は思索の「種」として捉えるのがいいのかなと思いました。Aが一般的だが、非Aという考えも一理ある。さあこのアンビバレントをどうする?という風に出発点と捉えるという。そういう読み方が出来れば、50以上の豊かな思索が自己のうちに堆積して、非常に効果的だったと思うのですが…… 如何せん自分にそこまでの体力がなかった+旬を逃して腐乱臭を醸しつつある時事問題(食べ残し)を調理する気にならなかったですね……
とにかく惜しいなという感じです。もう少しボリュームがあれば……
ところで、僕の最も好きな本(にして未だにキチンと読み切れていない)のひとつに、中村雄二郎の『述語集』というのがあるのですが、これも40のテクニカルタームを少しずつ、しかも色々な本を引用しながら纏めあげていく形式なんですよね。
では本書と何が違うのかと言うと、『述語集』の方は一見バラバラにみえるが、実は終始一貫して「現代(哲学)におけるロゴス中心主義からの脱却」というテーマが走っている。その構成の妙が読んでいて衝撃的でした。本書も「正義とみなされる既存の意見を批判する」という通底したテーマこそあるのですが、ちょっと合わなかったですね……
個人的な好みとして、もう少し「超然」として欲しいと思いました。これは感覚なんで批評にもなっていませんが……社会の露悪をそのまんま糾弾、提示されると息苦しい。それに対して皮肉交じりに語るのも渋い。
芥川龍之介は軍国主義を批判しましたが、そのやり方は「桃太郎」という皆がよく知る童話を少し書き換えてメタファーとして語った。芸術至上主義とも言われる、一瞬の美しさのようなものを描写しました。
暗澹たる現実を提示されるだけなのは、なんとも苦しい。難しくてもいいけれど、眉間に皺を寄せて読む本よりは、読んでいて感嘆の溜息が漏れるような美しさがあってほしい。……まあ、これは完全に個人の感想ですので。
好きだった(自分の思想に近かった、考えさせられた)のは、
- ヒトは神頼みをやめられない
- 会ってつまらない人はヒットを生み出せない
- 優れた物語は国家よりも寿命が長い
- 安倍さんにはもっとこの世界にいて欲しかった
この辺でした。

いいからシンキング(思索)だ!